logo_sq

2018年6月29日の北海道新聞第2社会面に、優生保護法被害者北海道弁護団の『強制不妊手術 道央の夫妻提訴 中絶が理由は全国初』の記事が掲載されました。
弁護団事務局長の弁護士の小野寺信勝は「夫妻の提訴を機に、中絶手術が提訴理由になり、配偶者も被害者になるということを全国的な流れにしたい」とコメントしています。

また、原告夫妻がコメントを発表していますので、全文を紹介いたします。

<男性のコメント>
 私と妻は昭和51年に結婚式を挙げ,昭和52年に婚姻しました。私の妻が,身ごもっていた子を堕胎させられ,強制不妊手術を受けたのは,それから4年後,昭和56年6月12日のことでした。
 私たちが結婚して初めてできた子でした。私は,当時,40歳を過ぎていましたから,諦めかけた頃に天から授かった子です。妊娠が分かったとき,私と妻は手を取り合って喜びました。
 しかし,親族の一人(以下では単に「親族」といいます。)に妻の妊娠が分かったとき,話は暗転しました。親族は,「あなたは低能で子どもを産むことも育てることもできないのだから今のうちにおろしなさい。」,「もし産んでもどんな変なかたわ者が産まれるかわからない。」と言いました。その親族が強く反対したため,そのほかの親族は皆この件で口出しをしなくなりました。
 そのため,私は,出産後,親族だけでなく世間から妻や子どもが何をされてどんな苦労をするかと思ったときに,不安と心配で頭がいっぱいになりました。
その中で,親族が,優生保護法の同意書を持ってきました。私がサインするまで親族はその場から動こうとしませんでした。私は,不安と,子の誕生を楽しみにしていた妻への申し訳ない思いと,自らも加害者になるのかという思いの中,不安から逃れたいという思いで,親戚の指示するとおり同意書にサインをしてしまいました。
 私は,妻の手術が行われた日,余りにも妻と子が不憫で可哀想で仏具店に行き,白木の位牌を買ってきました。私は,その日,位牌の表面に〇〇家守護水子命聖霊と書き,位牌の裏面には子の命日である昭和56年6月12日没と書きました。
 私は,本当は妻との子どもがほしかったのです。あれから37年も過ぎてしまいましたが,今でも毎日を妻に詫びる心情で過ごし,後悔をしています。今年の6月12日には子の37回忌をしました。それでも私たち夫婦の胸には生涯大きな悲しみと恨みと虚しさが消えることはないでしょう。
 私は,優生保護法の問題について今年の3月1日に初めて新聞報道を見て,本当に嬉しかったです。妻と私は,手術を受けてからずっとじっとしてきました。手術のことを話せませんでした。私は,新聞で取り上げられて,やっと妻を救ってもらえると思ったのです。
妻の手術の記録は,北海道に残っていないと聞きました。しかし,37年前のあの日に妻が手術したことは間違いないことです。人の命を奪う手術の記録,父親となるべきはずの私が書いてしまったあの同意書はどこに行ったのでしょう。
私たちの子を奪う最大の力となったのは,中絶手術,強制不妊手術を勧める親族の後ろ盾に優生保護法が存在していたことにほかなりません。この法律がなければ,親族が妻に手術を勧めてくることはありませんでした。私たちの子が奪われることも,妻に子どもが望めなくなることもありませんでした。この悪法により,どれだけの国民の生命が奪われたのでしょうか。
 私は,わが子を奪われた私たちの悔しさ,悲しさを裁判で問いたいのです。全国の私たちと同じ立場に立たされている人たちにはどうか勇気を持って立ち上がってほしい,私たちと一緒に闘ってほしいと思います。

<女性のコメント>
 夫と結婚して,妊娠がわかったとき,うれしい気持ちでした。男でも女でもうれしい。産むつもりでした。夫は子どもが大好きなので,とてもうれしがっていたから,私も楽しみにしていました。毎日,2人で一緒に子どもを楽しみにすごしていました。
 でも,ある日,親戚に,私のおなかが大きいことを見つけられて,「早く病院にいったらいいよ。いって,手術するといいよ」「あなたには子どもは育てられないから,私たちが面倒をみることになるから大変になる」と言われて,ひどいことを言うと思いました。
 その後,夫が働きに行っている間に,うちに親戚が2人来て,むりやりハイヤーに乗せられて,病院に連れて行かれました。病院に入って,ベッドに寝て,麻酔注射を打たれて,具合が悪くなりました。手術の前に,どんな手術をするかの説明もなく,手術の後にも説明はありませんでした。手術のきずあとはその後もずっと痛みました。
 家に帰されて,夫の顔を見たとき,もう自分たちの子どもがいないことに,がっかりしました。
 今考えると,病院につれていった親戚も,手術をした医者も,にくたらしいです。私は男でも女でも産みたかったです。私は私を大事にしてくれる夫との子どもを2人で一緒に育てたかったです。
 それなのに,せっかく妊娠していた子どもをおろされて,子どもを産めなくなりました。今でも悲しい,悔しいです。

この記事を家族・友達に教える

TOP