弁護士の小野寺信勝です。
「植村裁判」の札幌高裁判決について、雑誌「週刊金曜日」に掲載した記事を出版社の了解を得て当コラムに転載します。
2月6日、札幌高裁は、植村氏が櫻井よしこ氏及び出版社を訴えた名誉毀損訴訟について、植村氏の控訴を棄却した。札幌地裁に続き、またしても不当判決である。札幌地裁判決と同様に、櫻井氏が植村氏の慰安婦記事が「捏造」と信じたとしてもやむを得ないことが理由であった。
【裏付け取材が必要】
今回の判決は、従来の判例法理を逸脱する点で不当なものであるが、その前に、名誉毀損訴訟の判断枠組に触れておきたい。名誉毀損裁判は、(1)ある表現が対象者の社会的評価を低下させた場合には、(2)その表現者はその表現が真実であるか、真実と信じたとしてもやむを得ない場合に免責される(前者を「真実性」、後者を「真実相当性」という。また、ほかに公共性、公益目的性も要件となるがここでは割愛する)という2段階の枠組で判断される。地裁判決は櫻井氏が植村氏の社会的評価を低下させたことは認定しており、主な争点は櫻井氏が植村氏の記事を「捏造」だと信じてもやむを得ない場合にあたるか否かであった(なお、地裁判決は植村氏の記事が「捏造」であることの真実性は認定していない)。
ところで、真実相当性といっても単なる憶測や風評を信じたとしても免責されることはない。判例は「相当の理由が肯定されるためには、詳細な裏付け取材を要する」とし、客観的に信頼できる資料や根拠に基づき、合理的な注意を尽くして調査検討した結果として、信じた場合にはじめて免責されるとしている。判例がこれほど高いハードルを設定しているのは、真実相当性は表現者に「過失」がないことを理由に免責させるという位置付けだからである。交通事故を例にとると、運転手に過失がない場合にはじめて賠償責任を負わないのと同じ理屈である(名誉毀損も交通事故も民法の不法行為に基づく請求であり、根拠条文は同じである)。
それでは、今回の判決について、主として取材の有無という点から問題点を指摘したい。
【強制連行を矮小化】
櫻井氏は、金学順氏は人身売買により慰安婦になったにも関わらず、植村氏は女子挺身勤労令に基づく女子挺身隊と慰安婦を関連付けることにより、金学順氏を強制連行の被害者であるという「捏造」記事を書いたと主張していた。ところが、櫻井氏は植村氏の記事を「捏造」といいながら、本人に取材はおろか申込みさえしたことがなかった。従来の判例法理に照らせば、本人への取材なしに真実相当性を認めることは困難である。
ところが、今回の判決は「推論の基礎となっている資料が十分ある」として植村氏本人への取材は不要であると判断した。ここでいう「推論の基礎となっている資料」とは、1991年8月15日付ハンギョレ新聞、同年12月6日に金学順氏が日本政府に戦後補償を求めた訴状、「月刊宝石」1992年2月号に掲載された臼杵敬子氏の論文「もう一つの太平洋戦争」である。しかしながら、前記資料には金学順氏が人身売買により慰安婦になった記載はないばかりか「養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」(前記臼杵論文)など、日本軍による武力により慰安婦にさせられた経緯が詳細に記載されているのである。つまり、櫻井氏が依って立つ資料によっても金学順氏は強制連行の被害者と読むほうが自然である。ところが、判決は「日本軍が金学順氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で、日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではな」いと、強制連行をわざわざ矮小化し、櫻井氏の資料の曲解を追認した。
また、植村氏が「『女子挺身隊の名で』戦場に連行」という記述について、朝日新聞は「吉田供述を繰り返し掲載し」「朝鮮人女性を女子挺身隊として強制的に徴用していたと報じていた」のであるから「その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば」「日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面、単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」という認識に立って植村氏の記事を読めば、植村氏が女子挺身勤労令にいう女子挺身隊と慰安婦を関連づけて報じたと信じたとしてもやむを得ないと判断した。
【曲解された資料】
判決はこのように植村氏の「捏造」を推論する基礎資料があるのであるから、本人への取材は不要であると判断したのである。前述したとおり、原判決が「推論の基礎となっている資料」はいずれも櫻井氏に曲解されたものであるが、この点を措くとしても植村氏の記事が「誤報」というならば資料のみで判断できるかもしれないが、「捏造」となると「敢えて嘘を書いた」かという本人の主観的事情が問題となる。本人への取材は必要不可欠であるが、原判決は取材不要と判断してしまった。
また、この裁判では、櫻井氏の慰安婦問題に対する認識の変化も問題となった。櫻井氏自身は、90年代前半まで慰安婦を日本軍による強制連行の被害者という認識を示していたが、1996年頃に慰安婦は強制連行ではなく公娼と認識を改め、以後、積極的に強制連行否定論を展開していった。そして、慰安婦問題と同様に植村氏の記事についても、1996年から「誤報」という表現を用いて非難を始め、2014年に「捏造」と表現をエスカレートさせた。
このように櫻井氏自身が慰安婦の強制連行性、植村氏の記事の評価を改めながら、その認識を改めるに至った新たな資料や知見を示すことはなかった。「誤報」から「捏造」に至る合理的根拠や証拠がない以上、櫻井氏は取材を尽くしていないことは明らかであるが、判決はこの点を一切判断することはなかった。
本判決は「詳細な裏付け取材を要する」とした判例法理のハードルを地面まで下げることによって櫻井氏を免責した。裁判所がどのような事情に配慮してこのような異常な判断をしたかはわからないが、この判断は到底受け入れることができない。弁護団は、植村氏の名誉回復のため最後まで闘う。
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