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 強盗殺人、現住建造物放火罪で逮捕され一貫して冤罪を訴えていた袴田巖さんは、2014年3月27日、静岡地裁で再審開始決定と死刑の執行停止及び「拘置停止」決定を受けて釈放されました。「拘置停止」決定は我が国再審史上初めてのことです。逮捕から48年、死刑判決が確定してから32年後のことでした。

◆ 【袴田事件】
 1966年6月未明、静岡県清水市で放火された味噌会社の専務の家屋から4人の刺殺焼死体が発見されました。消火活動で右手を負傷し従業員の中で縁戚関係にない「遠州者」として警察に狙われた日本ランカーの元ボクサー袴田巌さんは連日十数時間に及ぶ違法な取調べを受け、19日後に遂に自白。住居侵入・強盗殺人・現住建造物放火で起訴され、静岡地裁で死刑判決を受けました(後に最高裁で確定)。これが日弁連も再審を支援している袴田事件です(心を病む袴田氏は、姉を保佐人として第2次再審請求中です)。公判中の67年8月に味噌樽から血染めの「5点の衣類」が発見され、パジャマを着て犯行を及んだとする自白は覆され、自白調書45通中44通は証拠から排除されるも、死刑判決。控訴審で袴田さんは5点の衣類のうちズボンを着用できませんでしたが死刑は維持されました。

◆ 再審開始決定
1980年12月死刑判決が確定し、1981年4月に申し立てられた第1次再審は延々26年半かかり棄却されました(即時抗告審では1998年「5点の衣類」についてDNA鑑定が行なわれましたが鑑定不能でした)。この間、袴田さんは精神に変調を来しました。そのため第2次再審は保佐人として選任された姉の袴田ひで子さんが請求人になりました。この第2次再審では、この血染めの「5点の衣類」が技術の進歩によって2人の鑑定人によってDNA鑑定され(本田克也筑波大学教授、山田良広神奈川歯科大教授)、被害者の型はおろかあるべき所から袴田さんのDNA型も発見されないという鑑定結果が出て、冒頭のとおり再審開始決定が出されました(ただし、山田教授は自分の鑑定書を「自信がないので撤回する」と証言し関係者を唖然とさせました)。

◆ DNA鑑定
 これに対し、検察官が不服として即時抗告を申し立て、東京高裁に係属していました。検察官の不服の中心は本田克也筑波大学法医学教授の行なったDNA鑑定が信用できないというものでした。東京高裁は2015年12月本田教授の採用した「細胞選択抽出法」の有効性を検証するとして弁護団の反対を押し切り、2016年1月、鈴木廣一大阪医大教授に検証実験を依頼しました。鈴木教授は1年以上をかけ2017年2月、本田教授の手法の有効性を否定する意見書を提出しました。しかし、同教授の実験は本田教授の手法とは異なるやり方で行なった「検証」とは言えない代物でした。弁護団では裁判所の鑑定命令に違反するものだとして徹底的に批判し、同時に本田教授の手法を弁護団自身が9時間かけて再現実験をして、それをビデオ撮影して法廷で上映し、その有効性を証明しました。2017年9月に鈴木教授、本田教授の討論的尋問が行なわれましたが、本田教授はいかなる質問にも十二分に回答しました。反面、鈴木教授の回答は余りに説明不足で不合理なものでした。

◆ 即時抗告に対する決定
 そして、2018年6月11日(月)午後1時30分に決定書が交付されます。私たちは検察官の抗告が棄却されることを信じて疑いません。皆さんも注目してください!

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