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弁護士の池田賢太です。

昨日、ふとしたことから、自宅の書棚にあった石垣りんさんの詩集を手に取りました。
私は、石垣さんの詩が昔から好きでした。
とっても生活感のある、石垣さんの詩が好きでした。

有名なところでは、「表札」「挨拶」「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」などがあげられるでしょう。
私は、「表札」という詩が好きでした。
「精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん/それでよい。」
という結びの一節が、私に覚悟を迫ってくるように、冬の朝のピンとした空気のように感じられるのです。

そんな中、今まであまり気に留めていなかった一編の詩を目にしました。
『雪崩のとき』という詩です。
1951年1月に作られた詩ですが、いまこの瞬間を詠みこんだと思われるような詩でした。
石垣さんは、その前年の1950年に勃発した朝鮮戦争を意識されていたのかもしれません。

「”すべてがそうなってきたのだから/仕方がない”というひとつの言葉が/遠い嶺のあたりでころげ出すと/もう他の雪をさそって/しかたがない、しかたがない/しかたがない/と、落ちてくる。」

特定秘密保護法が制定され、日本版NSCは我が物顔でPKOへの弾丸提供を決め、声高に「積極的平和主義」を唱えて集団的自衛権の行使をなし崩し的に認めようとしている今の情勢を、「しかたがない」と傍観するだけでいいのでしょうか。
私は、またも石垣さんに、覚悟を問われた気がしました。


《雪崩のとき》

人は
その時が来たのだ、という

雪崩のおこるのは
雪崩の季節がきたため、と。

武装を捨てた頃の
あの永世の誓いや心の平静
世界の国々の権力や争いをそとにした
つつましい民族の冬ごもりは
色々な不自由があっても
またよいものであった。

平和
永遠の平和
平和一色の銀世界
そうだ、平和という言葉が
この狭くなった日本の国土に
粉雪のように舞い
どっさり降り積もっていた。

私は破れた靴下を繕い
編み物などしながら時々手を休め
外を眺めたものだ
そして ほっ、とする
ここにはもう爆弾の炸裂も火の色もない
世界に覇を競う国に住むより
この方が私の生き方に合っている
と考えたりした。

それも過ぎてみれば束の間で
まだととのえた焚木もきれぬまに
人はざわめき出し
その時が来た、という
季節にはさからえないのだ、と。

雪はとうに降りやんでしまった。

降り積もった雪の下には
もうちいさく 野心や、いつわりや
欲望の芽がかくされていて
”すべてがそうなってきたのだから
仕方がない”というひとつの言葉が
遠い嶺のあたりでころげ出すと
もう他の雪をさそって
しかたがない、しかたがない
しかたがない
と、落ちてくる。

嗚呼、あの雪崩、
あの言葉の
だんだん勢いづき
次第に拡がってくるのが
それが近づいてくるのが

私にはきこえる
私にはきこえる。

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