北海道、札幌を中心とした北海道合同法律事務所が発行する「事務所通信:北の峰」の2005年 夏号をご紹介致します。

 北の峰のご案内

巻頭言  

 今年の8月15日は、第二次世界大戦の敗戦から60周年です。敗戦後すぐ9年目にして自衛隊を創設し、今や世界第2位の軍事予算をもつ軍隊に「急成長」しましたが、表向き一度も戦争に参加することなく、他国の人々を傷つけることもありませんでた。この故に、世界中の人々から、ヒロシマ・ナガサキに原爆を落とされた国、にもかかわらず驚異的な復興と成長を遂げた国、から日本人は平和を愛する勤勉な人たちだと、信頼を集めてきました。
 しかし、小泉「改革」の下で、この「平和憲法の遺産」が音を立てて崩れ落ちつつあります。イラク侵略戦争への多国籍軍参加しかり、首相の靖国神社参拝、侵略戦争正当化の歴史教科書採択をめぐる東アジア諸国とのあつれきしかりです。
 東アジアは、世界で唯一「冷戦対立」が取り残された地域です。隣国の韓国政府が「太陽政策」をとっているとき、政府・マスコミがこぞって「対立」をあおり、「力の政策」を唱えることは、60年前に逆戻りすることです。
 この夏、この国の未来について、ともに一緒に考え、主権者として責任ある行動をとりたいものです。

2005年8月 北海道合同法律事務所一同
イラク視察報告 弁護士 佐藤 博文

 箕輪登氏の北海道訴訟を皮切りとするイラク派兵差止訴訟は、全国11の裁判所、13の訴訟、原告数は5400人を超えるに至っている。今年12月14日に2回目の派兵期限を前に、何としても自衛隊を撤退させ、イラク侵略戦争への加担を止めさせたいと頑張っている。
 この全国各地の弁護団有志で、今年3月25日から4月1日までの8日間、イラクの西隣、ヨルダン王国の首都アンマンに行き、イラク戦争の実態と被害、自衛隊の活動実態について調査してきた。


◆ 自衛隊の存在を誇示

 中東の情報、交易の中心アンマンには、3月26日夕方に入ったが、その日の英字新聞「ヨルダン・タイムズ」を見て驚いた。トップページに、肩に日の丸を付けた自衛隊員の写真が写り、四面にはど真ん中にA4ほどの大きさで、今度はヘルメットに日の丸を付けた写真が載っていた。自衛隊員の後ろにはイスラム礼拝堂の塔が写っていた。自衛隊に関する記事は何一つなく、紙面を 買い取ったことが明らかだった。
 これは、中東に対する自衛隊の軍事的プレゼンス(存在)を、アッピールするものに他ならない。これ自体、とんでもない憲法九条違反の行為である。




◆ イラク戦争は商機

▲ヨルダン・タイムズ4 面の自衛隊写真
▲ヨルダン・タイムズ1 面の自衛隊写真

 今度は『ヨルダン・ビジネス』という英字月刊誌を手にしてみると、「リビルド・イラク2005 」「エキスポ・ヨルダン」といったタイトルが踊っていた。イラク復興を商売とする企業の万国博覧会である。「40の国から800以上の企業が参加する」と書いてあり、これはイラク戦争に参加した有志連合国の数38とほぼ同じである。私は、イラ ク戦争が開始された時、日本のある大企業の社長が「これは商機である」と発言したことを思い出した。多くの日本企業が群がってるに違いない。







◆ 20人以上から聞き取り

▲ローマ劇場の客席の上に
3 人で立っている写真

 私たち調査団は、アンマンに駐在して活動している日本のN G O 、アラブにおける各種人権団体、法律家団体の幹部、現職閣僚、PL O 幹部、劣化ウラン弾の被害を調査し対策を訴えている医師など公職の地位にある人々はもとより、今年初めまでサマワにいた女性、サマワでビジネスをしていた男性、保健所の所長や部族長、バクダッド警察の元警官など、多くのイラク人からの聞き 取りも行った。イラク人の 聴取対象者は、私たち弁護団と会ったこと自体秘密にしてほしい、いつ、誰に、自分あるいは家族が狙われるか分らないからということだった。


◆ 驚いたサマワの実態

▲調査団が宿泊したホテルのレストランで
聴取している様子

 サマワに今年初めまでいたという女性に状況を尋ねると、湾岸戦争時の劣化ウラン弾の放射能で土地と水が汚染されており、最悪だという。弟さんは劣化ウラン弾で白血病にかかり、イラク戦争が始まって数カ月後に死亡した。それまでまがりなりにも抗ガン剤治療を受けられたが、イラク戦争が始まって治療が途絶えたのが理由だと言う。姉も現在白血病で苦しんでおり、何とか治療を受けさせたくて、今回アンマンに来たと言う。
 私たちは、とんでもない事実を聞いた。それは、サマワの自衛隊は何をしているかと聞いた時だった。彼女は、サマワ地域にいる各部族に対して自衛隊が賄賂 を贈っている、贈っているのは現金で、サマワに一六ある部族の部族長の全てと、武装抵抗グループにお金を渡しているというのである。芯管を抜いたロケット弾が サマワの宿営地に撃ち込まれた、あるいは宿営地を僅かに外して着弾したという報道で何度かあったが、あれは、もっと金をくれという合図だと言うのである。


◆ イラクの人々が日本に望んでいること

 日本に何を望むかと聞くと、彼女はこう言った。「今のサマワの状況は本当に壊滅的だから、学校、道路、家屋、病院、医薬品など、生きるためにありとあらゆ るものが必要で、そういう意味で本当にお金を必要としている。サマワでは、フランス、ドイツ、アメリカのN G O がサマワの人たちのために寄付をしている。 しかし、自衛隊は一切していない。盗賊や武装抵抗グループに出してばかりで、人々の生活に、病院や子供たちのために、お金を出していない。私たちが必要な のは、そうした人々の生命、生活、健康を守るためのお金であり、軍隊ではない」と。
 自衛隊のやった舗装工事は、国道から自衛隊宿営地までの道路だったという。
 また、別のイラク人男性は、彼はこう言った。「日本政府が自衛隊をイラクに派遣することでどのくらいのお金を投入したか知っているか。500億円も投入し たのだったら、何処にお金を使ったのか。病院か学校か。その500億円で何をしたか実際に示して欲しい。ヨルダンの国家予算が300億円だから、その1.6 倍の金額がサマワに使われている。」
 「日本がそうしていることを皆さんに話すのは申し訳ないと思っている。お金でもって人を動かすという手法をイラク人は最も嫌っていることをまず理解して ほしい。イラクの人は、そういうことに怒っている。
 私は、返す言葉がなかった。自衛隊派遣を一刻も早く止めさせる、裁判に勝利するという決意を固めて帰ってきた。

ナヌムの家と日本軍「慰安婦」歴史館を訪問して 弁護士 佐藤 桂子

 7月2日、女性弁護士25名で、韓国にあるナヌムの家を訪問しました。ナヌムの家は、太平洋戦争中、性的犠牲を強要された元 日本軍「慰安婦」の被害女性が共同生活しているところです(ナヌムは分かち合うという意味)。10名のハルモニ(おばあさん)が住んでおり 敷地内には、1998年8月に開館された日本軍「慰安婦」歴史館があります。

 当日、お話してくれたハルモニ(79歳)は、15歳で下働きに出され、16歳の冬、路上で、突然、トラックの荷台に丸太のように投げこまれ た。中には既に5名の女の子がおり、誘拐したのは日本人1名、韓国人1名の男。その夜、列車で中国に運ばれ飛行場に連行され、性的奴隷とし て扱われる日々が始った。ここには14歳〜17歳の女の子がおり、抵抗すると血だらけになるまで殴られ服も破られた。しかし着替えの服も支給されず着たき りで、食事は1日1回、食パン1個。逃亡を考えたが、飛行場の周りには高圧電気が流れる鉄条網が張りめぐらされており、あきらめた。
 その後、別の「慰安所」に移され、服は支給されたが代金は借金として返せと言われた。しかし、この「慰安所」にいた3年間、お金は一切もらっていない。「お金のための自発的」な売春だったと言う日本の政治家もいるが、私は当時16歳で、そのような場所があることさえ知らなかった。戦争に必要な「物」と して強制的に供出されて、貰ったのは病気だけ。コンドームを使ってほしいと頼んでも、一般兵士は使ってくれたが、将校は使ってくれなかった。一度逃げたが直ぐ見つかり、管理人と憲兵に殴られ、そのため耳が不自由になった。トミ子という日本人名を付けられ自分の名前を奪われ韓国語を禁止されました。1945年戦争が終わったが、中国から帰国できたのは2000年。長い間、韓国語を話していなかったので、今もうまく話せない。

 「私たちが強要に抗えずにしてしまったそのことを歴史に残さなければならない」(金額順ハルモニ)。
 金額順ハルモニは、1990年6月6日の「民間業者が連れて歩いた」という日本軍の関与を否定する日本政府の発言を知り、1991年8月、初めて公開証言した人です(1997年12月死去)。この勇気に続いて他のハルモニたちも申告し始め、1992年1月8日からは、ソウルの日本大使館前で「水曜集会」 を開き、日本軍「慰安婦」犯罪に関する資料公開、謝罪、賠償、責任者処罰などを求めています。

 韓国を訪れたとき、是非、ハルモニ達に会いに行って下さい。私が教科書では知ることができなかった事実、このまま埋もれさせてはならない事実があります。

戦争を許さず、等しく豊かになる国をめざして
憲法改悪を許さず、津々浦々で憲法を実現するたたかいを
弁護士 佐藤 哲之

◆ 解釈改憲で集団的自衛権を行使することは許されない
 改憲派の最大のねらいは、言うまでもなく、日米軍事同盟の日英同盟化によって、アメリカの下で自衛隊を世界中どこへでも派兵し、この国を 「戦争しない国」から「戦争する国」にしようとすることで、その障害になっている「九条」の制約を取り払うことにあります。
 これまで解釈改憲でアメリカとの双務同盟化・軍事大国化を押し進めてきた政府でさえ、自国ではなく、同盟国に対する攻撃を契機にわが国が戦争をすることになる集団的自衛権は違憲で許されないとしてきました。だからこそ、自民党は、アメリカの要求に従って集団的自衛権を行使するため、明文改憲を主張し、その準備を着々と進めてきたのです。
 ところが、最近の報道によれば、今年11月の結党50周年党大会までに「憲法草案」を作ろうとしている自民党で、集団的自衛権は現行憲法のままでも認められるのだから、明文改憲の必要はないという議論が出ているというのです。どんな無理な解釈をしてでも集団的自衛権の問題を明文改憲の争点にしたくない という考えで、「九条の会」の活動などによる「九条」を守れという国民世論の昂揚が反映していると思われ、注目されます。ごまかしの解釈改憲など決して許してはなりません。


◆ 改憲に向けた第1ステージ「国民投票法案」を阻止しよう!
 憲法改正には、国会で各議院の総議員の3分の2以上の賛成による発議と国民投票による過半数の賛成が必要とされています。 従って、改憲派はまだまだ困難な3つのステージを登り切らなければならないのです。「国民投票法」の制定、改憲案のすりあわせ、そして、国民投票という3つのステージです。
 このうち第1ステージの「国民投票法案」がこの秋にも国会に上程されようとしています。「国民投票法」は改憲の中身を決めるものではありません。しかし、どのように賛否を問うかで改憲のハードルが下がりますし、運動に対する規制の仕方で、国民に主権者として行動することが保障されるかどうかが決まる のです。改憲派は、いま、とんでもない法案を用意しているようです。手続法だと侮らず、その成立を阻止することが改憲阻止への第一歩です。 阻止に全力を尽くしましょう。


◆ 津々浦々で憲法を実現するたたかいを進め、「戦争しない国」「等しく豊かになる国」を!

 改憲派の改憲衝動は「九条」の問題だけではありません。自民党の憲法調査会が昨年11月17日取りまとめた「憲法改正草案大綱(たたき台)」 (己も他もしあわせになるための「共生憲法」を目指して)に端的に表現されていますが、「階層化し、弱肉強食、優勝劣敗の国」、そのような 政策を断行するための「小さいが強力な政府」へというのがもう1つの特徴です。
 これからのこの国のあり方として、憲法のさし示す「戦争しない国」「等しく豊かになる国」をめざすのか、それとも、改憲派が志向する「戦争する国」「階層化し、弱肉強食、優勝劣敗の国」をめざすのかが問われているのです。
 私たちのめざす道は明らかです。津々浦々で憲法を実現するたたかいを繰り広げましょう。それが改憲阻止の確かな保障でもあります。(2005.7.6記)

宮川水害訴訟について 弁護士 加藤 丈晴

◆ はじめに

▲水没した富川地区

 2003年8月9日から10日にかけて、大雨を伴う台風10号が北海道をおそいました。この台風10号の通過によって日高地方では各地で被害が発生しました。沙流郡門別町富川地区においても、55ヘクタールの土地が冠水し、その地域の建物は床上、床下浸水の被害を受けました。被害を受けた富川地区の住民 は、水害の責任は国(開発局)にあるとして、今年の1月11日、札幌地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提訴しました。この訴訟には、当事務所から 笹森、芝池弁護士と私が原告代理人として参加しています。

◆ 二風谷ダムと今回の水害について
 二風谷ダムは沙流川の河口より約21キロメートル上流にあるダムで、アイヌ文化を破壊するものとして建設反対運動が巻き起こり、訴訟にも なったことで有名です。今回の水害にもこの二風谷ダムが関係しています。すなわち、二風谷ダムは、大雨が降ったときには、ダムに入ってくる 水よりも少量の水を川に放流することで、洪水調節機能を果たすのですが、この台風の時にはダムの計画を超える大雨が降ったため、北海道開発 局室蘭開発建設部二風谷ダム管理事務所は、ダムそのものを守るべく、ダムへの流入水量と等しい量を放流する操作、いわゆるただし書き操作を行 いました。この操作によって放流された大量の水は沙流川を下り、やがて富川地区に到達しました。


◆ 樋門操作の誤り

▲二風谷ダム

 今回の富川地区の洪水の原因には樋門と呼ばれる、川の堤防に築かれた水門が大きく関係しています。川の本流が水位上昇を生じた場合には、 本流の水がそこに流れ込む支流に逆流して支流をあふれさせるおそれがありますが、樋門は、本流と支流の合流地点に築かれ、これを閉じることで逆流を防ぐ役目を果たすのです。ところが今回は、大量の水が二風谷ダムから放流されたにもかかわらず、この樋門が閉じられず、大量の水が沙流川の本流から富川地区の支流 に逆流し、富川地区に大きな浸水被害をもたらしたのです




◆ 被害の大きさ
 樋門からの逆流により、富川地区の家々の多くが水に浸かってしまいました。幸い人命は失われませんでしたが、まさに命を危険にさらされる ほどの洪水でした。大量の水と泥が家屋に浸入して、家屋、家財道具等に甚大な損害が生じました。牧場の馬を失ったり、大切な思い出の品を失っ た人もいます。その復旧には大変な労力と費用がかかりました。


◆ 開発局の過失
 このように今回の水害の原因は富川地区にある樋門が閉じられなかったことにあります。そしてこの樋門を管理し ていたのが室蘭開発建設部なのです。室蘭開発建設部は、二風谷ダムのただし書き操作により、大量の水が沙流川に流れ込み、支流に逆流するお それがあることは十分予見できたはずです。にもかかわらず、樋門を操作する操作員に対し、避難の指示は出したのですが、その際樋門を閉じる ことを指示しなかったのです。開発局は樋門からの逆流を確認していないことを理由に樋門を閉じなかったことを正当化しようとしていますが、逆 流が起きることが確実視される状況で樋門を開けたまま漫然と操作員を避難させたのですから、その過失は明らかです


◆ 終わりに
 今回の訴訟には10名の原告の方々が参加し、当事務所の弁護士も含めて9名の弁護士が弁護団を結成して、訴訟を進めています。すでに3回 期日が開かれ、法廷では毎回熱い攻防が繰り広げられています。皆様もぜひ一度法廷傍聴にお越し下さい。長い闘い になるかもしれませんが、皆様の応援をよろしくお願い致します。

道警不正問題の現状とこれから
弁護士 渡辺 達生

1 2003年11月に道警の不正問題が発覚してから、1年9カ月の月日が経過しました。
 昨年11月末に出された道警の報告書によれば、平成10年度から15年度までの道費に関する不正額は2億円余りでしたが、12月はじめに出された監査 委員の報告書によれば、同じ期間の道警の道費に関する不正額は4億5000万円余りと道警の発表額の2倍以上でした。監査委員は、この違い を明らかにするために確認監査を行い、その結果が、5月末に発表されました。

2 確認監査の結果に期待する向きもありましたが、その内容は、事実上、道警の報告を追認するものでした。
 道警が認めた不正額と監査委員が当初不正とした額の違いの理由は、約2億円に及ぶ捜査用報償費の扱いです。道警が、捜査用報償費に不正が あったことは既に認めていることですが、道警は、捜査用報償費の全てについて不正を認めたのではなく、その一部については、適正に捜査に使 用されたとして、不正額から除外しました。その金額が、この約2億円です。道警は、「適正に捜査に使用した」とする現場の警察官の話を前提 に、不正額から除外をしましたが、監査委員は、当初は、現場の警察官の話を確認していないということで、不正額に入れましたが、確認監査で、 現場の警察官の話を確認できたということで、不正額から除外をし、事実上、道警の報告を追認しました。
 また、道警が認めている2億円の不正支出についても、そのお金が何に使われたのかは全く明らかになりませんでしたし、幹部による私的流用についても、全く明らかになりませんでした。

3 このような確認監査を受け、高橋知事及び与党は、道警不正問題の幕引きに大きく動いています。
 高橋知事は、道警の不正問題について、確認監査はできうる最高の確認手段であり、これ以上の調査は考えていな いと答弁し、道議会では、百条委員会の設置決議は、今回もまた否決されてしまいました。

4 しかしながら、不正に支出された捜査用報償費等の公費を幹部が私的に流用したことは、原田さん(元道警釧路方面本部長)及 び斉藤さん(元弟子屈署次長)が明らかにしていることです。この告発を受け、警察の膿を出し、道民のための警察にすることが、今、最も求め られていることです。
 そのためにも、百条委員会を設置して、原田さん・斉藤さんだけでなく、道警の現在の幹部を尋問することが不可欠です。道警の不正問題の真 相を究明を求める世論を今以上に盛り上げて、設置に持ち込むことが重要です。

5 原田さんや市民オンブズマンの呼びかけで、「明るい警察を実現する全国ネットワーク」(代表:原田宏二氏)が作られました。 原田さんや斉藤さんのような心ある警察官をサポートするための市民団体です。そのような活動も広げ、地道に警察問題に行くことも重要です。

弁護士 笹森学の書評コーナー
 

「夕凪の街桜の国」 こうの史代(双葉社

◆ 平野家の三女翠は1945年8月6日12歳で死亡。父天満は翌7日41歳で死亡。長女霞は10月11日15歳で死亡。 二女皆実は吐血し1955年9月8日23歳で死うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい」と問い「生きとってくれてありがとうな」 と答えた人に手を握られ……

◆ 石川家に養子に出た末子の長男旭は、故郷に戻り大学に進学、母フジミと同居しながら通学した。近所で兄と2 人だけで暮らし「ピカの毒にあたって足らんことなってしもうたんと」と自嘲する少女京子に「そんなことはない」と勉強を教え、愛を育み、フ ジミに反対されながらも結婚した。石川京子は、長女七波、長男凪生を生み、38歳で吐血して死亡。

◆ 凪生は入退院を繰り返すも今はインターンとなり、姉七波の同級生の看護師利根東子と恋仲にある。「なんでうちは死ねん のかね」と嘆いた平野フジミは80歳で死亡。散歩と言って密かに遠出する父旭を怪しみ尾行する七波。両親に凪生の健康 を心配される東子も強引に同行する。東京駅で旭が乗り換えた高速バスに2人も乗り込む。桜の国に生まれた者が知らねば ならない夕凪の街へ……。(昨年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、本年度手塚治虫賞受賞作)。


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