北海道、札幌を中心とした北海道合同法律事務所が発行する「事務所通信:北の峰」の2003年 夏号をご紹介致します。

 北の峰のご案内


 国会で有事法制が圧倒的多数で可決され、いまだ戦闘が続いているイラクに自衛隊を派兵する……誰がみても、明白な憲法違反である。ところが、翼賛に走り排外ナショナリズムを煽るメディアによって、「憲法を守れ!」と主張することが憚かられるような雰囲気が日本社会に蔓延している。その中で、雇用する側に都合がよいように労働法制が改悪され、人権擁護と社会正義実現の理念を忘れた「司法改革」と国家にとって役に立つ人材づくりを目指す教育基本法「見直し」が進んでいる。
 戦後50年、平和憲法のもとで築いてきた基本的人権と民主主義を基盤とする日本の骨格構造が「バリバリ」と音を立てて壊されようとしているのである。その先にあるのは、能力主義と効率主義に支配された非人間的な弱肉強食の社会でしかない。
 しかし、多くの国民は危機意識が全くといってよいほど希薄である。一体どうしたというのだろう。毎日を生きるのが精一杯で考える余裕がないのか、「自分だけは大丈夫」と思っているのか、それとも考えること自体をやめてしまったのか。いずれにしても、この国はコンパスが狂い、迷走状態に入りつつある。
  今ならまだ間に合う……「戦争のできる国」づくりを急ぐ愚かな政治家・官僚・支配層に対する「怒り」と「抵抗」を!

2003年8月  北海道合同法律事務所一同

◆ 子どもたちが「ありのまま」で生きていけるために
 1947年3月31日、日本国憲法の理想を実現するために、教育基本法が定められました。戦前に国が教育を戦争のために悪用してきたことへの反省から、二度と過ちを繰り返さない決意をこめて制定されたのです。ところが、半世紀が過ぎた今、平和と民主主義を基本にした戦後の教育が誤りであったとする人たちによって、憲法と教育基本法の根本を揺るがす動きが加速しています。本年3月20日、戦後初めて、中央教育審議会は「教育基本法の抜本的見直し」を答申しました。この日は、世界中の「イラク戦争NO!」の大きなうねりを省みることなく、アメリカがイラクへの侵略を開始した日でもありました。
 幸い、今国会での改正案提出は与党三党間の政治的思惑により、見送られましたが、来年の通常国会での提出が確実視されています。教育は国家のためにあるのではありません。子どもたちのためにあるのです。そして、子どもたちが求めているのは、「ありのままで生きていきたい」ということです。ですから、私たち大人が今行わなければならないのは、教育基本法の見直しではなく、子どもたちの叫びに耳を傾け、その願いを受けとめ、憲法と教育基本法および子どもの権利条約に基づいた教育を実践していくことなのです。


◆ 教育基本法を改正するかどうかって、そんなに大きな問題なの?
 とても大きな問題だよ。今の日本の教育制度は全てこの法律に基づいて作られているから、基本法が変われば、最終的には教科書の内容や学校生活にも影響することになるんだ。


◆ 教育基本法ってどんなことが書かれている法律なの?きっとむずかしい内容なんじゃないかな。
 そんなことは全然ないよ。ここに掲げておいたけど、条文の数としては11条しかなく、文章もとてもわかりやすいね。中学生でも簡単に読めるよ。


◆ ほんとだ…内容だって新鮮だよ。それなのに、なぜ今、教育基本法を変えようとしているの?
 法律ができてから50年以上が過ぎて、当時とは社会の様子が大きく変わっているから、いまのままの基本法では不十分だというんだ。「子どもたちの道徳心は低下し、いじめ、不登校、中途退学、学級崩壊も深刻だし、家庭や地域の教育力にも期待できない。そんな教育の危機的状況を打ち破るために、教育の根本を改めよう」という考えなんだ。


◆ 法律を変えたからって、いじめや不登校がなくなるのかなぁ…具体的にはどういうふうに変えようというの?
 今年3月、中央教育審議会(中教審)という政府の機関が文科大臣に基本法の見直しを答申したんだ。それによると、「国を愛する心」を新たに盛り込むことと、能力主義に基づいた競争を強めること、それから新たな「公共」に奉仕する教育をすすめる、などとしているね。これには、学者や教育関係者からの疑問の声は大きい。特に、「日本の伝統・文化の尊重」「国を愛する心」「家庭教育の役割」などをあたらしく加えることに強い反発があるんだ。


◆ それって、どういうこと?
 日本が太平洋戦争に突き進み、大勢の若者が駆り出されていった背景には、「教育勅語」に象徴される戦前の教育方針があったんだ。教育基本法は、そんな時代の反省をこめて、戦後作られたもので、「個人の尊厳」や平和を求める人間の育成がうたわれているね。今の教育に問題があるのは本当だけれど、教育の根本に「国を愛する心」が盛り込まれることには慎重にならざるをえない、というわけだ。


◆ 国を愛することはいけないことなの?
 国を愛することが悪い、というわけじゃないよ。でも、「愛する」とか「尊重する」といった人の心の中のことは、だれかに教え込まれたり、強制されたりするものではない、ということなんだ。日本弁護士連合会は「こうしたことを公教育でおこなうことは憲法(思想・良心・信教・表現・学問の自由)に触れるので許されない。」と反対している。「家庭教育の役割」を盛り込むことへの反発も同じだね。親から教わることの大切さは誰もが認めるけれど、家庭での教育にまで国家が入り込むことは私的領域への不当な介入の道を開くことになるよ。


◆ 子育ては、お父さんやお母さんの責任でするものということかな。
 子どもの権利条約でも、子どもの発達・養育に対する第一次的責任は親が有するとされ、国や第三者がこの責任を脅かしたり、こどもの養育に不当に介入したりすることは禁止されているんだよ。


◆ 教育基本法を改正しようとする人達は、日本をどういう国にしようとしているの?
 今回の答申は「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」をめざすとしているね。要するに「国家に有為な人材づくり」というわけだ。日経連が95年に発表した「新時代の日本的経営」という報告書では、少数のエリートが日本社会全体を支配することによって国際競争力を高める国家像が「二一世紀戦略」として論じられているのが参考になるね。


◆ 「少数のエリートが支配する」ってどういうことなの?
 財界は、国際的な大競争時代を乗り切るには、企業の人件費を抑える必要があり、リストラや合理化をすすめるのはもちろん、企業に残る人達の雇用形態も変えていこうと考えているんだ。表1・2は、日経連報告書にでてくる有名なものなんだけど、労働者を三つのグループに分けているね。「長期蓄積能力活用型」が所謂「エリート」で、「高度専門能力活用型」はスペシャリスト。「雇用柔軟型」は派遣・契約・パート・アルバイトの類だが、全体の八割を占めるようになると言われているんだ。今進められようとしている教育改革の目的は、この財界の考えに沿って、子どもの中からエリートを選抜してお金と手間をかける一方、圧倒的多数の普通の子どもには、エリートたちへの従順さを刷り込んで、雇用柔軟型の労働者をつくり出すことにあるんだ。わかりやすく言えば「勉強のできない者はできないままでかまわない。ゆとり教育を推進して全体の教育レベルをうんと下げるので、非才無才はせめて実直な精神だけを養え!」というわけだ。


◆ それって、教育基本法第一条に書かれている「教育の目的」とは全く正反対だね。
  でも、ほとんどの親たちは教育基本法を知らないんじゃないかな。

 日本PTA全国協議会が調査したところ、85%の親が「教育基本法を知らない」と答えているとのことだ。6月8日に文科省が名古屋で開いた「教育改革フォーラム」で、パネリストの日本PTA全国協議会理事・小野田誓さんは「親として子どもの学力低下への不安が大きい。基本法を何のために改正するのかわかりません」と話していたよ。


◆ 学校の先生たちはどう考えているの?
 多くの先生たちは、今の学校や教育の問題は、基本法を変えるのではなく、もっと生かすことで解決していけると考えているね。6月に全教(全日本教職員組合)が呼びかけた全国教職員投票には、13万5,000人を超える教職員が投票したけれど79%が「改正」に反対。賛成はわずかに3.2%だったそうだ。


◆ これから改正問題はどうなるの?
 文科省は今の国会に改正案を提出するつもりで準備をすすめていたけれど、提出はできなかった。しかし、与党三党は、6月17日に教育基本法検討会を発足させ、1年後の成立をねらって準備をはじめている。教育基本法を改正したいという政治的潮流が途絶えたわけではないので、われわれも勉強を重ねて、改正を許さない態勢を強化しなければね。


◆ 教育基本法(昭和22年3月31日法律第25号)
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

第一条(教育の目的)
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第二条(教育の方針)
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

第三条(教育の機会均等)
1.すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。
2.国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

第四条(義務教育)
1.国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
2.国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

第五条(男女共学)
男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。

第六条(学校教育)
1.法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2.法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

第七条(社会教育)
1.家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。
2.国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。

第八条(政治教育)
1.良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
2.法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

第九条(宗教教育)
1.宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
2.国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

第十条(教育行政)
1.教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2.教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

第十一条(補則)
この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。


有事法制・イラク派兵法・恒久的海外派兵法は明らかに憲法違反である

◆ 長沼ナイキ訴訟  自衛隊違憲の判決30周年 (恵庭事件発生から40年)
 容赦無い「勝ち残り」競争を旗印とした政府財界による空前のリストラ攻撃のもとで、労働者の状態悪化は極めて深刻になっています。リストラ解雇、賃金・退職金の切下げや未払いが横行する一方で、雇用保険改悪による受給者の減少、健康保険の本人負担増など社会保障の大幅後退で、労働者は「泣きっ面に蜂」です。特に、今春卒業の高校生の就職内定率が全国で50%、北海道は25%にすぎないと聞くと、本当に胸が痛みます。
 労働者の苦しみの根源は、大企業には惜しみなく公金を注ぎ込んで「リストラ」支援を行い、国民には見返りのない犠牲を強いる小泉「構造改革」路線にあります。


◆ 世界平和に逆行する  日米英の軍事中心主義
 日本とアメリカは、イラク戦争で、世界の平和を願い戦争回避する大きな流れや憲法第九条の評価に逆行しました。平和憲法を無視し、新ガイドライン合意にもとづき、周辺事態法、テロ特別措置法、有事法制、イラク派兵法などを成立させ、日米同盟を日本防衛から海外侵攻に変質させ、日本を「戦う国」にする計画をすすめています。アメリカ発、日本着の戦争が現実化しています。国連憲章などを無視した米英のイラク戦争開始に対して、世界の各国から反対の声が広がりました。いま、大義であった大量破壊兵器の存在の偽装も発覚し、米英首脳が追い込まれています。無差別的な攻撃で多数の市民に犠牲を出し、イラク民主化などもほど遠く、イラク国民も米英軍に対する反発を日増しに高め、イラクの各地は戦争状態です。自衛隊は米英の違法な軍事占領を後方支援するために、イラクの戦場へいこうとしています。政府は自衛隊が戦争状態にまきこまれて、「殺し」「殺される」ことも当然としています。自衛隊高官や自衛隊員からも自衛隊の本務違反との批判の声もあがっています。国民の多数も反対。自衛隊のイラク派兵を中止させましょう。米英のイラク軍事占領はもともと違法。イラク国民の自立復興を国連中心に、軍事力に依存しない方法で支援しましょう。
 人類は平和を永遠に希求します。苦痛ある戦争はかならず終わります。戦争放棄、軍隊をもたない憲法第九条の道こそ、21世紀の人類の指針です。世界の諸国民の意思はそのように着実に動いています。私たちは、これからも引き続き粘り強く、あらゆる戦争に反対し、平和を築いていきましょう。たたかいの過去にまなび、戦争勢力の動きと闘いましょう。


◆ 第一回 「憲法九条の裁判闘争を顧みて」
(聞き手)【弁護士 三浦桂子】

三 浦  最近、自衛隊の海外派兵、武力行使を認め、戦争準備の有事立法も国会を通過するなど、平和憲法をもつ日本が戦争する国に向かい出したのではないかと危惧が高まっています。 かつて自衛隊違憲裁判など憲法九条のたたかいを経験されたお話をお聞きしたいです。
廣 谷  さきの大戦で地上での地獄の極限に曝された国内外の民衆の犠牲の代償が、憲法九条の「戦争と軍備の放棄」でした。ところが、アメリカ占領軍の命令で発足した警察予備隊を陸・海・空に自衛隊の改組した。ときの鳩山一郎首相は憲法違反と考えたんでしょう、昭和30年の総選挙で「憲法九条を変えて軍隊を持とう」と訴えたが国民の賛成が得られず、その後の自衛隊は「抜き足、差し足再軍備」と評されたくらい、憲法九条を横目で見ながら泥棒猫みたいにコソコソと軍備を進めました。
三 浦  自衛隊憲法違反の裁判は、まだなかったんですね。
廣 谷  自衛隊の前に、米軍の日本駐留はそれを許す日米安保条約ともども「憲法9条違反」とした、砂川事件の東京地裁判決が出ました。昭和34年です。憲法は日本国民が再び 戦禍を蒙ることがないことを期して戦力の保持を禁止した、日本の軍隊に限らず駐留米軍でも、その危険は同じだとした判決です。
三 浦  裁判官が憲法の平和主義の精神を探求されて、日米安保条約を違憲と断じた堂々たる判決ですね。
廣 谷  国はこの判決を最高裁に飛躍上告しました。私は東京で司法試験の勉強中だったので、連日最高裁大法廷で行われた沢山の弁護人の弁論を全部拝聴しました。広島・長崎から14年、この間の核兵器と長距離弾道ミサイルの発達、測り知れぬ戦争被害の規模が示す憲法9条の先駆的意義など印象的でした。
三 浦  札幌地裁の「恵庭事件」は、先生も弁護人として活躍されたんですね。
廣 谷  東京で弁護士をしていた昭和38年、札幌で自衛法違反の起訴があったと情報が伝わり、日本民主法律家協会や青法協が支援を開始し弁護人は全国から400名に達しました。第四回公判に初めて出廷し、検察・弁護の激しい応酬が圧巻でした。これほど真剣勝負の刑事事件を初めて経験し、また北海道の公判に毎回東京の精鋭弁護士が参加する実情をみて、私は昭和41年6月に札幌に移転したんです。
三 浦  この事件のポイントは、もちろん自衛隊違憲ですね。
廣 谷  そうですけど、乳牛の牧場地帯の恵庭で野崎牧場のサイロ(飼料塔)が昭和30年から米軍ジェット機の急降下の標的にされ、自衛隊の大砲の轟音で牛が暴走・流産する被害でした。やっと演習の事前連絡を約束させても現地部隊は知らん顔で、非常手段として通信線を切断した。こうした自衛隊による生活破壊が根底にあって、正当行為と、自衛隊法121条(防衛の用に供する物の損壊罪)の違憲無効=無罪が主張でした。
三 浦  判決が意外にも違憲判断を避けたといわれています。
廣 谷  裁判官は、自衛隊の合憲性に関する検察・弁護の主張の一方は合理性を欠くと考える、憲法判断は回避しないと断言していたので、自衛隊を裁かなかった「無罪判決」に被告人、弁護人、傍聴人が激しく抗戦し、検察官が抱き合って小踊りする珍妙な幕切れでした。
三 浦  小泉内閣のいまの戦争指向をどのように考えますか。
廣 谷  「専守防衛」という恵庭事件での論理は、その後も政府が維持し、自衛隊の海外派兵、集団自衛権は憲法違反だと政府自ら言い続けてきました。小泉内閣が、40年ぶりにこれを覆し憲法の平和主義に挑戦したんです。


◆ ちょっとだけ国際派
 私には、暇を見つけては世界各地を放浪する癖があるようだ。それも、普通の人であれば行きたいなどとは思わないような国ばかり。これまで、タイ、ラオス、ビルマ、ネパール、バングラデシュ、インド、スリランカ、ボツワナ、ジンバブエ、南アフリカを訪れた。そして実は、明日(7月12日)からヨルダン、イラク(及び北部クルド自治区)、アラブ首長国連邦に足を運ぶ予定である。そんな国に行って何がおもしろいのかと不思議に思われる方も多いであろう。たしかに、のんびりバカンスを楽しむといったリゾート地があるわけでもなく(ただし、南アフリカは世界的に有名な避暑地である)、また特別料理がおいしいわけでもなく、その意味ではつまらない旅かも知れない。しかし、私にとっては、これらの第三世界と呼ばれる国々の文化に接すること自体が面白いのである。そして、現地に生きる人びとと多くの時間を共有し、多様な発想・価値観に触れることで、人間としての生き方そのものを学ぶことができるのも大きな魅力なのである。
 ところで、異文化体験といえば、1年365日、毎食カレーを食べ続ける南アジアの人びとには驚かされた。町全体がスパイスの臭いで充満している(気がする)。イスラム国であるバングラデシュで、朝四時ころからモスクにわらわらと人が集まり、ひたすらアッラーに祈りを捧げる光景には唖然とした。インドやネパールの町中で牛がたむろしている風景はまだ理解できるとしても、ワニや象と生活を共にし、芋虫やサソリを食べるアフリカの風景は、もはや同じ地球上のもとのは信じがたいものがあった。このような貴重(?)な体験は、第三世界でしか味わえまい。
 実は、私の海外経験は、農村開発やスラムの居住環境改善といった開発援助活動や、子どもの教育状況や児童労働の現状などの視察を(一応の)目的としたものがほとんどである。だが、今振り返れば、何らかの貢献をしたというような記憶はなく、むしろ一方的に教えられることの連続であった。しかし、それはそれで良しとしよう。少なくとも、世界各地に安否を気遣うべき大切な友をつくることができたのだから。
 全世界的な傾向として無関心主義が蔓延し、遠く離れた国で何が起ころうが全くお構いなしという若者が増えているという。世界各地で悲惨な戦争・紛争が繰り返される中で、平和の創造に向けて我々が何ができるかを考えたとき、遠い国に生きる人びとに対して連帯感を持ち、想像力を働かせつつ、自らの具体的な問題として行動することが一つの大きなステップであると思う。自分の親しい友人がいる国で戦争が勃発した場合、無関心ではいられないであろう。我々ひとりひとりが、様々な形で「大切な友」を世界各地につくることが重要なのである。スタイルは人それぞれによって異なってよい。現地を訪れるのもよし、芸術・文化や映像を通して想像力を膨らませるのもよし、在日・滞日外国人と触れ合うのもよし、要するに自分の身近な問題として捉えることから始まるのである。なお、個人的には、教育現場等において、従来の「国際交流」とは違った形の異文化理解教育にも力を注いでいきたいと密かに計画中である。
 字数を大幅にオーバーしたようなので、今回はこれで終わり。次回は、未だ混迷するイラクの情勢について、現地からのレポートを 交えつつ触れてみたい。


 4、5年前に朝日新聞紙上で連載された大江健三郎と世界の知識人との一連の往復書簡のうち、アメリカのスーザン・ソンタグとのそれは刺激的でした。彼女はコソボ紛争におけるNATOの空爆を支持し「正義の戦争」を肯定していたからです。それ以後、私の喉には小骨が刺さったままのようでした。
 それから数年を経てアメリカがイラクに対して「正義」の戦争を始めてから、私は毎日戦争映画のビデオ漬けになりました。アメリカ兵の死体を報道するのは非国民だという世論から戦争がモザイクで隠蔽されてからというものはますますその程度が増しました。その中で戦争の信じられない程の愚かさと残酷さを嫌というほど突きつけて来た映画がこの三本です。いずれも旧ユーゴスラビアが解体される過程での激烈な「民族浄化」戦争の内実を描いています。「ブコバル」(ボーロ・ドラシュコヴィッチ監督、94年・米伊ユーゴ合作)は、セルビア人の夫とクロアチア人の妻が結婚式を挙げるシーンからユーゴ内戦に否応なく巻き込まれて殺戮に至る過程を描いています。93年8月から11月に激戦地で撮影されたというもので2%を残して消滅した街を延々と空撮したラストシーンは衝撃的です。「ボスニア」(スルジャン・ドラゴエヴィッチ監督、96年・ユーゴ映画)は隣近所の親友が民族に分かれて俄軍隊に入って殺し合う様を描きます。02年のアカデミー外国語映画賞などを受賞した「ノーマンズ・ランド」(ダニス・タノヴィッチ監督、01年・仏伊ベルギー英スロバニア合作)は、旧ユーゴ内戦を塹壕の中とその周辺だけで描いた秀作で、国連やマスコミの無力さも抉出されています。この三本を観ると「正義の戦争」が望まれます。しかし「ブラックホーク・ダウン」などを見ると「正義」の意味が分からなくなります。


弁護士紹介取扱分野Q&A